「新宮」の歴史、ここに始まる

熊野神社

京都聖護院「門跡帳」に、大同2(807)年田辺氏が紀州新宮から勧請し創立したと記されており、およそ1200年の歴史を持つ神社です。
それまでの村の名は「古美(こみ)村」といっていましたが、熊野信仰が浸透し、「古美新宮村」、しだいに「新宮村」というようになったそうです。

四国における熊野信仰第一の霊場として、四国130社の筆頭に列せられ、平安時代末期から鎌倉時代初期の最盛期には、伊予は久万山、阿波は岩津根、土佐は保木の峯、讃岐は残らずと、四国大半の地域にまで勢力を伸ばし、牛王(ごおう)宝印をあまねく配布しました。熊野神社に残っている牛王宝印の版木は大永2(1522)年のものと伝えられており、熊野信仰で神の使いと仰がれるカラスが描かれ、その数は紀州速玉社(和歌山県新宮市の新宮大社)と同数の48羽です。
戦国時代・永禄年間(1558~70)、土佐の長宗我部氏の兵火により社殿が焼失してしまいました。現在の入母屋造りの本殿は江戸時代・嘉永2(1849)年にケヤキ材を使って再建したもので、近世の神社建築では県内有数の規模を誇っています。

宝物には、右記の「神鏡」や「大般若経600巻」のほか、仏像18体、木版などがあります。

神鏡
県指定有形文化財。直径13.5cm、厚さ1~1.5cmの円形の銅鏡で、両肩に二ヶ所懸紐を通す耳があります。もともと12枚あり、神輿3体に使用していたのですが、永禄年間の兵火により土中に埋められ、近世になって発掘されたものです。
「伊与国 宇麻郡 古美新宮、輿御鏡十二枚之内 貞應二年三月六日 信山大法主 沙弥定廣」の銘があります。

大般若経600巻
県指定有形文化財。四国第一大霊験熊野十二社権現の別当寺であった神宮寺にあったもので、墨書の写経で二つの経櫃に分納されています。巻末には「嘉永二年十一月晦辛●時、与州宇麻新宮石室ニテ書写畢、大願主沙弥定広 結縁執筆籠●」と記されています。
昭和40(1965)年ころまでは、夏に氏子若衆がこの大般若経を納めた経櫃を担いで各家を回り、家人がその櫃の下をくぐれば家内安全等のご利益を得られるとする風習が残されていました。

[霧の森からのアクセス]車で10分(ルートマップ